石巻だより21(7/13)

お久しぶりでございます。
石巻から遠く離れ、元の生活に戻りました。 みんなはいかがお過ごしかな?
無事帰った報告に付け加え、今石巻から帰り思うことをここに留めておくことにする。わざわざまとめなくてもいい話だけど、僕から最後の「石巻だより」をお届けしたいと思う。

とその前に、
石巻で出会ったおじさんが帰ったら家族や友人に伝えてほしいと言っていたことがあるのでひとつお知らせしたい。

これは「てんでんこ」という言葉にまつわる話。
三陸海岸地域に「津波てんでんこ」という伝承がある。「津波が来たら、肉親に構わず、各自てんでばらばらに一人で高台へ逃げろ」という意味がある。肉親に構っていると逃げ遅れ共倒れになり、一族が滅んでしうという教訓から生まれた言葉だという。

石巻が地元だというそのおじさんにこんな話を聞いた。岩手県田老町出身の女性と結婚することになったおじさんは、嫁の実家へ挨拶に行った。すると、嫁の母親からこんな質問をされたという。
「地震が起こり津波が来たらお前は逃げるか?」
おじさんはこう答えた。
「逃げる。もちろん妻や子を連れて逃げる」
すると母親はこう切り返した。
「なら娘はやれん。ひとりで逃げれんやつに娘はやれん」
これが「てんでんこ」という伝承が残る地域の津波への意識なのだろう。
いつしか防波堤や鉄骨の建物が増え、語り継がれてきた言葉が薄れたとき、大きな津波が街を襲う。逃げ遅れたたくさんの人が巻き込まれ、多くの悲しみを残していった今回の津波も、また語り継がれなければならない。
石巻のおじさんは頻りに「津波が来たら高台へ逃げろ」と言っていた。おじさんは、この伝承は世代が巡れば薄れて行くものだと分かっているのだろう。体験していないものにはピンと来ない話かもしれない。だからおじさんは、津波のことを知らない我々に口酸っぱく言ったのだろう。悲しみを繰り返さないため、語り残したいと思ったのだろう。

こんなふうにたくさんの津波の体験が、生き残った人の数だけ存在する。 少なくとも、このおじさんと出会ったことで僕は津波について知っていることが増えた。知らないでいるということは恐いことだと思う。だから知っているものは、伝える側に立つべきかもしれない。

さて、
僕が石巻に滞在した日数は45日あまり。いつしか瓦礫にも、周囲に漂う臭いにも慣れ、日常がひっくり返っていたことに今帰ってから実感している。
関西に戻り都市部に出れば、人と物で溢れた通りがまるで外国のように感じられ、軒並カフェや服屋が建ち並んでいることに違和感すら憶える。
避難所では仮設住宅の抽選を待ち望み、被災前の平穏な日々を取り戻そうと街中の二階部分に明りが灯っている。衣食住がままならない暮らしを強いられる町の人たちが、ひとつづつバラバラになったピースを、また新たな形につくりかえていく。
比較することに意味はないが、物質に満ち満ちた世界とはまるで別世界だと感じるだけの、秩序の違いがある。そんな石巻で体験したことについて、幸福だと感じることがいくつもあった。それは「オールウェイズ3丁目の夕日」みたいな物質的な豊かさとは違う何かみたいな懐古主義的な話しではない。触れなければ分からないことかもしれない。生きることが生まれる瞬間、喜びを感じずにはいられないものだ。いつか悲しみを勇気に変えて、未来へ続く今を生きる、そんな力強さに満ちた瞬間の話しかもしれない。

そんなこんなで関西に戻り一週間が過ぎる。次第に被災地からのギャップにも慣れ、元の日常が戻りつつある。
「自分の生活基盤に直接影響がない限りは 人間、そう長い間悲嘆にくれることは出来ない」
なんてことを、小説家の垣根涼介がデビュー作で「死」について書いてたが、全くその通りだと思う。震災から4ヶ月が過ぎた関西から見れば、くだらんワイドショーや国会中継も、福島の原発問題も、仮設住宅での孤独死も、東北そのものが遠くに存在する他人事なのだ。残念だけど、そう思う。ただそんな風に言い捨てるのは本望でない。だいたいにして、それじゃ寂しい。だから、そうではない、という事を言いたいがために関わりを途絶えさせたくないと思ってしまうのも本心だ。
「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
と宮沢賢治が言っていた。とりあえず、僕は賢治が好きなので今はこの言葉を信じたいと思う。

皆の幸福と平穏な毎日を祈っています。
ではよい一日を!

皆との再会を願って。

ヨシキ

  • seian
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