2010年2月 表現するということ

私はニューヨークはマンハッタンの国連の近くに住んでいます。エリアとしてはミッドタウンですが、イーストリバー近くの端の方なのでニョーヨークとはいえ、お昼間でもわりあい静かで居心地の良いアパートで暮らしています。しかし、国連が近いだけあってデモがよく行われる場所でもあるのです。もちろんデモが行われている間は騒々しく何を言っているのか、叫んでいるのか、何語なのかも分からない言葉が朝一番から聞こえてくることもあります。それは生活の邪魔になるほどの騒々しさではありませんが、外にでるとやかましく、警察もたくさん、デモ行進する人もたくさんいて困ってしまう時もあります。
私は日本でデモを間近であまり見たことがありませんが、こちらにきてからは度々遭遇し驚いたのがすごく少人数のデモから大人数のデモまで色々な形態があること、そして多くの子供も参加しているのを見かけることです。
つい最近のデモでは「STOP killing Christian in Egypt」というTシャツを着た10歳くらいの男の子達を見かけました。彼らが本当に自分で理解してデモに参加しているかどうかは分かりませんし両親やまわりの大人達に一方的な話を聞かされて参加している可能性もあるかもしれません。しかし子供の時から政治を、世界を、宗教を知り、それに伴って色々なことを学び成長していくことはすばらしいことだと思います。
こちらで映画の試写会などに行くと、たくさんの人達が監督に質問をします。彼らはマスコミでもなければ批評家でもないのです。日本だと講演をして質問を募っても誰も手を挙げないことのほうが多いかと思います。(後で質問される方はいらっしゃいますが)これは大きな文化の違いの1つです。私がこちらに来て友達に言われたのは、こちらでは自分の意見を言わないということは、自分は何も考えてない、考えられない、自分という人間がどういう人物か分かってもらおうとしていない、ということになり失礼だしバカだと思われることもあるというようなことを言われました。
また謝る時にこちらの人はたくさん説明をします。日本人である私にとって時にはそれはただの「言い訳」にしか聞こえないこともあります。でもこちらの人達にとっては説明することが誠意を見せるということになるそうです。
ですから小さい時から話すことを強いられてきた彼らがデモに参加したり、デモを起こしたり、すぐに訴えることなどは簡単に理解できます。
表現するという意味においては、アートだってデモだって同じかもしれません。そしてアートがデモのような力(働き)を持つこともあります。そんな表現豊かな?街だからニューヨークには美術館、ギャラリーやアーティストが多いのかもしれません。

(text・photo/澤田知子)

澤田 知子
フォトアーティスト、成安造形大学2000年卒。
現在、文化庁在外研修員としてニューヨーク在住。
第29回木村伊兵衛賞受賞。
セルフポートレートの手法で「内面と外見の関係」をテーマに作品を制作し、国内外で発表している。

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