タツラキッズ〜オーストラリアの強制収容所にいた子供達


タツラ収容所に残る鉄条網

タツラ収容所に残る鉄条網(2010 ©MutsumiTsuda)

5月21日、東京のど真ん中、上智大学で講演をしてきました。内容は、文化庁在外研修員として調査をしてきたメルボルンの北180kmにある「タツラ収容所No.4キャンプ」についてです。ここは太平洋戦争中(1941年12月〜1946年)民間の日本人家族がオーストラリア、ニューカレドニア、インドネシアなどから抑留されたところで、私はニューカレドニア生まれの当時の子供たち(通称タツラキッズ、今や全員70歳以上)に行った聞き取りをもとに、その生活ぶりを、現地で撮った写真や、リマコナが歌っているタツラ国民学校の歌などを紹介しながら発表しました。

この日は、東京近辺にお住まいのタツラキッズ6名が集まってくれることになっていましたので、なるべく彼らに関係あるエピソードを揃えておきました。

講演後の懇親会では、上智大学の先生や学生、移民や収容所関係の研究者が、タツラキッズとの積極的な会話を楽しんでいました。なかでも学生たちにとっては実際の収容経験者との会話は(私の講演そのものより?)ずっと興味深いものだったかもしれません。

収容所で過ごした数年は、彼らの人生において、両親や兄弟と一緒かつ食糧に満たされ、同世代の子供たちと遊んで過ごせた、人生において最も楽しい時期だったかもしれません。しかし、それぞれの移民先で親が築いた財産は、すべて敵性外国人のものとして差し押さえられ没収されましたので、日本に送還されたときには一文無し。しかも敗戦でどこも廃墟。タツラキッズは初めて訪れた日本で学校に行くと、外国語なまりの日本語や外国風の身なりのためにさんざんいじめられたそうです。戦後を必死に生きて来た彼らは、長く思い出を語る機会を失っていたのですが、高齢になった今、私の研究に協力しながら、自分たちの体験を知ってもらえることを喜んでくださっているのです。

津田睦美

  • seian
  • このページのトップへ △